大正期以降の総二階の町家の2階の化粧軒の構造。化粧の出桁を化粧の腕木で受け、ケヤキや合板の軒天井板を張り、野材を隠し、大屋根の軒の持ち出しを大きくする。出桁も腕木も町家の軸組とは縁が切れ、三角形の支持材を化粧材と垂木のみで作る。(図1)日本海側に見られるセガイつくりと外観は似て異なるのはこの点。明治期には野材の束と化粧の腕木を組み合わせた過渡的な簡略型も京都市中に残る(写真1)。大屋根の瓦を降ろさないと軒天井の貼り替えも出来ない。これも貸木の名の所以と思われる。